昨年大ヒットした新書「定年後」を読みました。
読後の感想を一言で言うとすれば、「自分は仕事を辞めた後のことを甘く見過ぎていた。このままではマズイ!」です。
働く男とすばらしい日々
満員電車に揺られて登庁し、目の前の仕事に追われる毎日。ときには深夜休日労働を強いられたり、理不尽な作業にも取り組まなければならない。
「こんな持続可能じゃない生活、一体いつまで我慢できるのか…」と、絶望的な気分になることもたまにあります。
特にここ最近は、霞が関の中で出世したと思われる人たちが袋叩きに遭いながら辞めていく姿に数多く接し、「自業自得とはいえ、偉くなるもんじゃないな…」としみじみ感じます。
このように、仕事にはいろいろ思うところがあり、「辞めたらこうした煩わしさから解放されるんだろうな」と、退職後のすばらしい日々を想像していたわけです。
人は失ったものに目がいく
しかし、著者によれば、退職してから2~3か月後に「会社からの拘束や仕事上の義務の中に自分を支えていたものがあったことに気づき始めた」そうです。
また、例えば「名前で呼ばれる」とか「若い人から年配者までが一緒に集まっている」といったことは、普段、会社の中では当たり前すぎて意識すらしません。しかし、会社を去って初めて、それらは決して当たり前のことではなかったと分かるとのこと。
著者は「人は失ったものに目がいくようになる傾向があるのだろう」と喝破しますが、本当にそのとおりだと思います。
そして、現役時代は煩わしくて仕方なかった数々のことがとても恋しく感じられるのでしょう。退職後には必ずしもバラ色の世界が広がっているとは限らないのです。
著者が「観測」した定年退職者の実態も、やけにリアルで想像以上のものがあります。
自分の居場所はどこだ?
そうすると、定年後や退職後には、自分の居場所を見つけることがまず重要となりそうです。
しかし、それも簡単なことではありません。この本を読むと、仕事を辞めた人間が次の居場所を見つけるには、ただ待っているだけではダメで、自ら積極的に動くことが大切だと気付かされます。
私は常日頃、「職場から不要と思われたら、しがみつかずにスパッと辞めたい。そして自分をもっと必要としてくれる場所に身を置きたい」と考えており、以前、似たようなことを記事(⇒再考、なんのために投資をするのか)にも書きました。
しかし、この考えにはまだ受け身の気持ちが垣間見えます。もっと自分から道を切り拓いていく覚悟が必要なのかもしれません。
で、今できることは…
私にとって、定年はあと20年以上も先のことです。しかし、定年になって初めて何かやろうとアタフタしても手遅れですし、そもそも定年よりずっと前に仕事を辞めることになる場合も大いにあり得ます。
著者は、本の中で「会社員人生の後半戦である40代後半や50代から少しずつ助走を始めるのが、スムーズな定年後につながる」と述べています。
助走距離があまりに長いと途中で息切れするかもしれません。しかし一方で、Mr.Childrenも歌うとおり「長く助走を取った方がより遠くに飛べる」のもまた真でしょう。
アラフォーのいま、この本に出会って少なからず危機感を持ったことはラッキーでした。
今後、何か判断の分かれ道に立ったとき、その都度「退職後」を意識した選択をしたい。そして、「自分は退職後にどう生きたいか」を徐々に明確にしていきたい。そう考えるようになりました。
もちろん、退職後の生活の糧となる資産を抜かりなく作っておくことは言うまでもありません。